稲藤村(読み)いなふじむら

日本歴史地名大系 「稲藤村」の解説

稲藤村
いなふじむら

[現在地名]紫波町稲藤

滝名たきな川左岸の沖積地に位置。南は土館つちだて村、東は平沢ひらさわ村、西・北は上平沢村。「雑書」寛永二一年(一六四四)三月二三日条によれば、当村に松田甚助・高林帯刀・唐崎庄吉の知行地があったことが知られる。正保国絵図に村名がみえ、高九八石余。寛文四年(一六六四)盛岡藩領より八戸藩領となる。寛文一二年および正徳三年(一七一三)には地内に切支丹禁制並びに捨馬禁止の高札が立てられている(八戸藩史料)。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳では田方五九四石余・畑方八二石余。天明五年(一七八五)の志和郷馬事書留帳(漆立文書)によれば家数四六、馬七一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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