稲見村
いなみむら
[現在地名]豊田町大字稲見
木屋川の支流稲見川流域で、北は俵山(現長門市)、東側は北から地吉・大河内・楢原の各村に接し、西は北から一ノ俣・宇内・金道の各村に接する。長府藩領で豊浦郡豊田筋に属す。
「和名抄」記載の長門国大津郡の郷に「稲妻伊奈女」とあり、この辺の地は古代において大津郡に属していた可能性もある。しかし古い地名にもかかわらず、その後の史料にはみえず、慶長五年(一六〇〇)の検地帳が初見。同一五年の検地帳では総高二九〇石余、うち田二三町余で二七〇石余、畠一町余で三石余、百姓屋敷三五とある。「地下上申」では総高六〇三石余、うち田方五四七石余、畠方五五石余、家数六四、人口四一六人と相当に増えている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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