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伊勢国の地名。現在は松阪市大河内町。坂内(さかない)川が山間部から伊勢平野に流れ出す所に位置。中世後期,伊勢大和国境付近の一志郡多気にこもった伊勢国司北畠氏が,大河内および田丸に平野部を管掌する行政基地をおいたため,政治軍事上の要地として史料上に散見する。とりわけ北畠満雅の弟顕雅を祖とする大河内氏が,いわゆる三御所(大河内,坂内,田丸御所)の一つとして永禄年間(1558-70)までここに居住し,北畠本宗家と濃密な関係を維持したため,行政上はむしろ大河内が本城の観を呈した。1569年織田信長の南勢侵入に抗し,北畠具教・具房は大河内城に籠城したが,優勢な織田軍を支えきれず,信長の次男信雄の北畠氏継嗣を認めざるをえなかった。現在,坂内川右岸に大規模な城館跡が残っている。東西360m,南北320mの城地に本丸・二丸・西丸跡,あるいはお納戸跡,馬場跡などが展開している。近世の大河内村は和歌山藩松坂領となる。
執筆者:西山 克
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兵庫県中央部、神崎郡(かんざきぐん)にあった旧町名(大河内町(ちょう))。現在は神河(かみかわ)町の西部を占める一地区。1955年(昭和30)寺前(てらまえ)、長谷(はせ)の2村が合併して町制施行。町名は市川上流の河谷に開けた平地を、中世に大河内荘(しょう)と称していたことによる。2005年(平成17)大河内町は神崎町と合併して神河町となる。JR播但線(ばんたんせん)寺前、長谷の両駅を中心として、背後に播磨(はりま)の屋根といわれる砥峰(とちみね)、峰山などの1000メートル級の高原が展開し、雪彦(せっぴこ)峰山県立自然公園に含まれている。スギ、ヒノキの林業が盛ん。
[吉田茂樹]
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