大河内(読み)おおかわち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大河内
おおかわち

兵庫県中部,神河町西部の旧町域。市川の上流域にある。 1955年寺前村と長谷村が合体して町制。 2005年神崎町と合体して神河町となった。大部分が山地で,スギ,ヒノキの美林が多い。北部の長谷はマスの養殖地。西部の準平原の峰山高原は景勝地で,雪彦峰山県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディアの解説

大河内【おかわち】

伊勢国飯高(いいたか)郡の地名で,現在の三重県松阪(まつさか)市大河内町にあたる。坂内(さかない)川が伊勢平野に流れ出すところに位置。中世後期,伊勢と大和の国境近くの一志(いちし)郡多気(たげ)(現三重県津市美杉町)にこもった伊勢国司北畠氏が平野部を管掌する行政基地をおいた政治・軍事上の要地。北畠満雅の弟顕雅を祖とする大河内氏が,いわゆる三御所(大河内・坂内・田丸)の一つとして永禄年間(1558年−1570年)まで居住し,大河内御所と通称された。大河内氏は北畠本宗家と関係が深かったため,行政上は大河内が本城の観を呈した。1569年織田信長の南伊勢侵入に際し,北畠具教・具房は大河内城に籠城したが敗れ,信長の次男信雄の北畠氏継嗣を認めざるをえなくなった。現在坂内川右岸に大規模な大河内城跡が残る。東西360m,南北320mの城地に本丸・二ノ丸・西ノ丸の跡,周辺にお納戸跡・馬場跡などの遺構がある。近世の大河内村は和歌山藩松坂領で,産物として木綿・煙草が知られた。

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世界大百科事典 第2版の解説

おかわち【大河内】

伊勢国の地名。現在は松阪市大河内町。坂内(さかない)川が山間部から伊勢平野に流れ出す所に位置。中世後期,伊勢大和国境付近の一志郡多気にこもった伊勢国司北畠氏が,大河内および田丸に平野部を管掌する行政基地をおいたため,政治軍事上の要地として史料上に散見する。とりわけ北畠満雅の弟顕雅を祖とする大河内氏が,いわゆる三御所(大河内,坂内,田丸御所)の一つとして永禄年間(1558‐70)までここに居住し,北畠本宗家と濃密な関係を維持したため,行政上はむしろ大河内が本城の観を呈した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大河内
おおかわち

兵庫県中央部、神崎(かんざき)郡にあった旧町名(大河内町(ちょう))。現在は神河(かみかわ)町の西部を占める一地区。1955年(昭和30)寺前(てらまえ)、長谷(はせ)の2村が合併して町制施行。町名は市川上流の河谷に開けた平地を、中世に大河内荘(しょう)と称していたことによる。2005年(平成17)大河内町は神崎町と合併して神河町となる。JR播但(ばんたん)線寺前、長谷の両駅を中心として、背後に播磨(はりま)の屋根といわれる砥峰(とちみね)、峰山などの1000メートル級の高原が展開し、雪彦(せっぴこ)峰山県立自然公園に含まれている。スギ、ヒノキの林業が盛ん。[吉田茂樹]

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