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竇融 とうゆうDou Yong; Tou Yung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

竇融
とうゆう
Dou Yong; Tou Yung

中国,後漢開国の功臣。扶風 (陝西省) の人。字は周公。竇氏はこの地方の豪族であった。王莽 (おうもう) のとき,融の妹は王氏一族と結婚し,彼も王莽のために各地に転戦。王莽が倒れると更始帝に仕え,やがて兄弟とはかり豪族を結集して河西 (甘粛省) 五郡大将軍として独立し, (きょう) 族もこれに服し,匈奴も侵入せず,辺境に平和が保たれた。更始帝が倒れ隗囂 (かいごう) に服したが,この頃から後漢の光武帝とも通じるようになり,ついに建武 12 (36) 年後漢にくだり,冀州 (きしゅう) 牧に任じられ,のち三公に進んだ。一族から公1人,侯2人,公主を妻とする者3人,2000石の官4人を出し,後漢外戚中最も大きな勢力を築いた。

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世界大百科事典内の竇融の言及

【敦煌】より

…中央政府の支配下に入らなくても,東西貿易の中継の重要度は減らなかったし,内地が乱れてもここは平和であったため,大量の移住者が内地から流れ込むこともあった。1世紀初め,竇融(とうゆう)が河西五郡大将軍として敦煌地方に独立したのはその最初の例である。3世紀になると,敦煌は仏教の東漸ルートの陸港ともいうべき位置にあったため,インドや西域からきた僧侶がいったんはここに落ち着くようになった。…

※「竇融」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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