(読み)キョウ

デジタル大辞泉 「羌」の意味・読み・例文・類語

きょう〔キヤウ〕【×羌】

中国古代、青海地方に住んでいたチベット系の遊牧民族後漢時代に陝西せんせい・甘粛に移り、五胡十六国時代に後秦こうしんを建国。代には一族のタングート(党項)族が有力となり、その一部は11世紀に西夏を建国。

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精選版 日本国語大辞典 「羌」の意味・読み・例文・類語

きょうキャウ【羌】

  1. 〘 名詞 〙 中国西北辺境の山岳地帯に散在するチベット系遊牧民。漢代にしばしば中国内地へ侵入し、唐代には党項、白蘭名称であらわれ、のち西夏国を建てた。

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普及版 字通 「羌」の読み・字形・画数・意味


8画

[字音] キョウ(キャウ)
[字訓] ああ

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]

[字形] 象形
羊頭の人に象る。羌人は西戎の一、牧羊族。古く羊頭神の信仰をもち、岳神を祖とした。岳神伯夷は姜姓諸族の祖とされる。卜文の岳の字は、山上に羊頭をおく形に作る。〔説文〕四上に「西戎、牧羊人なり」とし、字を会意にして羊の亦声とするが、羊頭人の象形。卜文にときに辮髪を加える形のものがあり、チベット系の古族であるように思われる。卜辞に「羌」を卜する例が多く、軍門である義京・磬京(けいきよう)の儀礼に「羌三十人を宜(ころ)さんか」のように卜する例があり、犠牲として用いるために捕獲されている。殷墓に残る数千に及ぶ断首葬は、羌人犠牲のあとであると考えられる。仮借して感動詞に用いる。

[訓義]
1. 西方の族、羌人。
2. 楚人の語で、ああ。
3. 語詞として、すなわち。

[古辞書の訓]
名義抄〕羌 ツツガ 〔字鏡集〕羌 サト・スナハチ・コトバ・カヘル・ノリ・コハシ・ツツガ

[声系]
〔説文〕に羌声としてを収める。は小児の泣きやまぬ声をいう擬声語。他に姜は羌の省声とみるべき字で、羌人出自の姓を示すものとみられる。姜姓四国(申・呂(甫)・許・斉)は姫姓と通婚の関係にあった。伯夷・許由・皋陶(こうよう)は姜姓の祖神で、夷・由・陶は同音の転訛したもの。伯夷は岳神にして姜姓の祖とされ、岳の初文は山上に羊頭を加えた形である。

[熟語]
羌夷羌塩羌活羌管羌戸羌胡・羌羌鷲羌青羌笛羌桃・羌・羌羌虜
[下接語]
外羌・巌羌・吃羌・黠羌・山羌・熟羌・西羌・

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「羌」の意味・わかりやすい解説


きょう

中国古代、青海地方からのちに陝西(せんせい)、甘粛(かんしゅく)にまで広がった主としてチベット系の民族。彼らが「羌」とよばれたのは、チベット語のkhyu(あるいはkhyu。群れ、集団の意)の音訳で、自らの集団を――khyuと称したため(たとえば先零(せんれい)羌、焼何羌、焼当羌など)、羌族という総称が成立した。羌族は小部族的結合の集団をなして遊牧生活を営んでいたが、紀元前2世紀には農耕を伴うものも現れた。

 前1世紀後半、漢の武帝が匈奴(きょうど)を攻撃して河西(かせい)回廊を奪い、西域(せいいき)交通路の確保のため匈奴と青海の羌・氐(てい)との連携を断つと、羌族の動揺が始まった。漢は護羌校尉(ごきょうこうい)の官を設けて、侵攻と懐柔の両策をもって統御し、後漢(ごかん)時代には青海地方に深く進み、漢人の屯田を積極的に推進し、羌族を陝西、甘粛の諸郡に移住させた。内郡に移住した羌族は漢の小吏や豪族に使役されるなど、民族的差別と侵奪の下に置かれた。その結果、陝西の先零羌の大反乱(107~118)をはじめ、しばしば反乱を起こして漢帝国を揺るがした。漢の対外的膨張政策の結果として内地に含み込まれた匈奴、氐、羌などの少数民族問題は、その後も中国の内部矛盾と絡み合って噴出し、4世紀の五胡(ごこ)十六国時代を現出した。384年、長安を都として後秦(こうしん)を建てた姚萇(ようちょう)は羌族の出身である。

[佐藤智水]

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百科事典マイペディア 「羌」の意味・わかりやすい解説

羌【きょう】

中国の北西部に住んだチベット系民族。漢代には西羌と呼ばれた。4世紀には五胡の一つとして華北に侵入して後秦()を建国。多くの部族に分かれ,西夏を建国したタングートもその一つ。
→関連項目魏晋南北朝時代単于チャン(羌)族

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改訂新版 世界大百科事典 「羌」の意味・わかりやすい解説

羌 (きょう)
Qiāng

中国,西北辺に居住したチベット系の遊牧民。五胡の一つ。殷の甲骨文に人身供犠として見え,また周の成立に貢献した呂尚(太公望)も同種族。多くの部族に分かれ酋長が統率した。秦の圧迫が消えると再び東上し,1世紀以降,活動は一段と活発化した。後漢は征伐を行って内地へ移したが,漢人の収奪に苦しんで大規模な反乱をくり返し,後漢衰亡の要因となった。五胡十六国時代の後秦,のちに西夏を建国するタングート(党項)族もこの種族。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「羌」の意味・わかりやすい解説


きょう
Qiang; Ch`iang

青海省を中心に中国北西辺境一帯に散在したチベット系遊牧民。漢代には西羌と呼ばれた。五胡十六国時代には後秦国を建てた。南北朝では甘粛南部によった宕昌 (とうしょう) 羌,鄧至 (とうし) 羌が中国と関係が深かった。唐代にはタングート (党項)が強大となった。しかしまもなく吐蕃 (とばん) に圧迫されて,一部はその支配下に入り,一部は北東に移住して,のち西夏を建設した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「羌」の解説

羌(きょう)
Qiang

青海を中心に中国北辺境にいたチベット系遊牧民。漢代に西羌(せいきょう)と呼ばれ,五胡十六国時代にこの種族に属す姚氏(ようし)が長安後秦を建てた。唐代に党項の名で現れ,11世紀に西夏を建てた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「羌」の解説


きょう

青海を中心に中国北西辺境に住んだチベット系遊牧民
漢代には西羌と呼ばれ,その姚 (よう) 氏が五胡十六国の後秦 (こうしん) を建てた。唐代にタングート(党項)の名で現れ,一部は吐蕃に属したが,他は寧夏地方に移り,11世紀に西夏を建てた。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【五胡十六国】より

…4世紀初頭より約1世紀半,中国華北に分立興亡した国家群,あるいはその時代をいう。主権者の多くは五胡すなわち匈奴(きようど)・羯(けつ)(匈奴の一種)・鮮卑(せんぴ)(東胡系)・(てい)(チベット系)・(きよう)(チベット系)の非漢族で,これまでの漢族による中国統治の流れを大きく変えた時代である。また牧畜・狩猟民族と農耕社会との接触が深まり,それが政権の形成にまで発展した,文化史上特色ある時代である。…

【チベット】より

…このうちのヒマラヤ山脈沿いの南縁とその北東に伸びた延長線上の南北に走る渓谷,および青海以南の四川省西縁の土地に住する民族がチベット人である。漢文史料で〈氐(てい)〉とか〈羌(きよう)〉と呼ばれていたものが古い時代のチベット系民族であるともされるが,確かではない。隋の時代にその存在が漢土に伝えられ,唐代に〈吐蕃(とばん)〉と呼ばれたのは,このチベット人が建てた最初の統一王国であった。…

※「羌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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