中国、西北地区中部の地域名。もともと黄河(こうが/ホワンホー)の西をいい、春秋戦国時代には黄河中流より西の陝西(せんせい/シャンシー)、山西(さんせい/シャンシー)両省の一部をさしたが、漢民族の版図の拡大とともに、甘粛(かんしゅく/カンスー)、青海(せいかい/チンハイ)両省など、黄河上流より西の地域をいった。このなかでとくに歴史的に重要なのは、甘粛省の蘭州(らんしゅう/ランチョウ)から北西へ、烏鞘嶺(うしょうれい)を越えて、祁連(きれん)山脈と合黎(ごうれい)山、竜首(りゅうしゅ)山に挟まれて細長く続く、河西回廊(走廊)とよばれる地域である。平行して走る万里の長城を越えて北には、砂漠地帯が広がり、生活の拠点は、氷河や万年雪をもつ祁連山脈からの河川によって、山麓(さんろく)に点々と連続して形成されるオアシスにある。前漢武帝のとき、匈奴(きょうど)との戦いに勝ち、ここに酒泉(しゅせん)、武威(ぶい)、張掖(ちょうえき)、敦煌(とんこう)の4郡(河西四郡)が置かれ、西域(せいいき)開発の基地となった。その後もしばしば異民族の占領するところとなったが、シルク・ロード上の交易都市としてオアシスは栄えた。現在も蘭新(らんしん)鉄道が通って、中央アジアと中国を結ぶ要路であり、玉門(ぎょくもん/ユイメン)などの工業基地もある。
[秋山元秀]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…河西とは中国甘粛省の黄河から西,祁連(きれん)山脈の北側にそった狭長な地域である。俗に河西回廊といわれ,砂漠の中にオアシスが点在してシルクロードの東端を形成する。…
※「河西」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...