改訂新版 世界大百科事典 「立憲運動」の意味・わかりやすい解説
立憲運動 (りっけんうんどう)
Lì xiàn yùn dòng
中国,清朝の立憲君主制への即時移行を要求する運動。1898年(光緒24)の戊戌(ぼじゆつ)変法の失敗後,海外に亡命した康有為,梁啓超は,ひき続き立憲論を鼓吹し,中国人に大きな影響を与えた。とくに梁啓超の役割が大きい。国内でも張謇(ちようけん)らの郷紳や開明官僚のあいだにも立憲制移行の気運が高まった。清朝は,革命運動の鎮静化,立憲派の懐柔を策して,1905年憲政視察団を海外に派遣,翌年立憲準備を宣言し,08年には〈欽定憲法大綱〉を発布して強大な皇帝大権を規定した〈欽定憲法〉の原則を明示し,9年間の準備期の後,立憲制実施を宣言した。ついで各省に諮議局,資政院を設置し,中央・地方の議会の準備機関とした。張謇ら立憲派はこれら施策を歓迎しつつも,準備期間の短縮,憲法の即時制定,国会の即時開設を要求し,各省諮議局連合会,国会請願同志会,予備立憲公会等を組織して,請願運動を展開し,清朝支配階級の内部の亀裂を露呈した。
執筆者:久保田 文次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報