竪三日町(読み)たてみつかまち

日本歴史地名大系 「竪三日町」の解説

竪三日町
たてみつかまち

[現在地名]会津若松市上町うわまち行仁町ぎようにんまち

つきのき町の北に並び、東は千石せんごく町の木戸きどより西は甲賀こうか町に至る、長さ四町四一間余・幅四間余、家数八五(新編会津風土記)。立三日町とも記す。当町と横三日よこみつか町には三の日に市が立った。天正六年(一五七八)蘆名盛氏が大沼郡本郷ほんごう(現会津本郷町)向羽黒山むかいはぐろやま城より黒川くろかわに帰ったとき、本郷村の住民がこの町へ移住してきたという。明治三年(一八七〇)の若松町市日の定には、当町と横三日町の市は記載されていない(「公用簿籍」簗田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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