竹中恒三郎(読み)タケナカ ツネサブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「竹中恒三郎」の解説

竹中 恒三郎
タケナカ ツネサブロウ


肩書
日本共産党名誉中央委員

生年月日
明治42年1月30日

出生地
京都市三条

学歴
大阪商科大学中退

経歴
昭和5年大学在学中に治安維持法違反で検挙され、退学処分。以後、大阪市内で古本屋を開業し、6年共産党に入党。2度検挙されて、8年には懲役4年、13年には懲役10年の判決を受ける。戦後出獄、20年12月統制委員、30年中央委員を歴任

没年月日
昭和62年10月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「竹中恒三郎」の解説

竹中 恒三郎
タケナカ ツネサブロウ

昭和期の社会運動家 日本共産党名誉中央委員。



生年
明治42(1909)年1月30日

没年
昭和62(1987)年10月21日

出生地
京都市三条

学歴〔年〕
大阪商科大学中退

経歴
昭和5年大学在学中に治安維持法違反で検挙され、退学処分。以後、大阪市内で古本屋を開業し、6年共産党に入党。2度検挙されて、8年には懲役4年、13年には懲役10年の判決を受ける。戦後出獄、20年12月統制委員、30年中央委員を歴任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹中恒三郎」の解説

竹中恒三郎 たけなか-つねさぶろう

1909-1987 昭和時代の社会運動家。
明治42年1月30日生まれ。昭和6年共産党に入党,8年に検挙され懲役4年。12年出獄後,日本共産主義者団に参加して反戦活動をおこない,翌年検挙され懲役10年。戦後,党中国地方委員会議長,中央委員などをつとめた。昭和62年10月21日死去。78歳。京都出身。大阪商大(現大阪市立大)中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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