古本を営業として売買する業者の総称。古書店ともいい,英語ではsecondhand bookshop(bookseller),古典籍や貴重本を専門とする店はantiquarian bookshop(bookseller)という。一般には読み古された本を安価で売る店として人々に親しまれているが,国宝級の写本や古版本を扱う古本屋は経験に裏打ちされた書誌的知識を豊富に有し,作家・研究者の陰の資料提供者として機能することも多く,たとえばイギリスの大古書店バーナード・クオリッチBernard Quaritch等の発行するカタログは,既成の書誌の誤りを指摘する情報を含み,書誌研究者に注目されるほどである。日本でも,貴重本を多数所蔵する天理図書館が反町(そりまち)弘文荘ほかの古本屋の集書努力に負っていることは有名である。半面,古本屋は同時に愛書家でもあるところから,商品を手放したがらぬ場合もあり,極端な例ではバルセロナのドン・ビセンテという古本屋が,客に売った本が惜しくなり,次々に客を殺害して本を取り返した事件があり,フローベールの《愛書狂》(1856)にも取り上げられている。この傾向は海外の古本屋に多く見られ,客と相当に親しくならないうちは良い在庫品を提供しないといわれる。日本では古本屋の店先をのぞいて歩く古本あさりが風物詩となるが,ヨーロッパでは盗難防止の意味もあって探究書を店員が尋ね,店内を自由に歩かせない店が少なくない。
本の売買は,すでにローマ時代に写本を対象に行われたが,本格的には16世紀以降の活字本の普及を契機とし,アントワープ,パリ,バルセロナ,ロンドン等に書店が成立した。しかしこの時代の主要書店は出版・宣伝活動をも兼ねたものが多く,あとは市(いち)が立つごとに巡回出店したり街頭で露店stationaryを出す群小業者がほとんどだった。古本がオークションで販売されるようになったのは17世紀後半で,イギリスでは書籍販売が正式に自由化された18世紀初頭から本屋の数も増加した。古本屋は19世紀前後から独立した業種となり,1847年にロンドンに出店したクオリッチは雑本の安売りから始めてグラッドストーン首相らの顧客を得,世界有数の古本屋となった。そのほかマグズMaggs,クラウスKraus等が世界に知られた古本屋である。かつてはヨーロッパで最もポピュラーな古本屋街とされたロンドンのチャリング・クロス・ロードCharing Cross Roadは1900年ころ偶発的に成立し,1930年代に繁栄の極に達したが,現在では往時をしのぶよすがもない。
一方,日本においては,刊年の判明している印刷物としては世界最古の〈百万塔陀羅尼〉が770年(宝亀1)に作られ,平安・鎌倉・室町期には各地の寺社で寺社版(寺院版)の出版が行われたが,出版を営業とする本屋が多く現れるのは江戸期である。しかし出版,取次,小売,古本を兼ね扱うという状態が永く続き,それらが分離するのは明治になってからである。江戸期約260年間の本屋の推移をみると,前期100年間の本屋の数は全国1171店のうち京都が701店で一番多く,次の80年間では1730店中大坂が564店,さらに次の80年間では2322店のうち江戸が917店で一番多くなっている(井上隆明《近世書林板元総覧》による)。明治時代になると,出版,取次,新刊書店,古本屋の中心は東京に定着する。江戸時代の出版,新古書店は,京橋,日本橋方面に多く,江戸時代末期から明治時代初期には芝方面にも多くなった。その時期神田は主として旗本の屋敷であったが,幕末・明治初年に東京大学,東京外国語大学,一橋大学,明治大学,専修大学,中央大学,法政大学,日本大学などの前身が開校するとともに学者・学生が集まり,書物の需要の増加によって神田書店街が出現した。明治10年代に淡路町,小川町付近に始まり,駿河台下から神保町,九段下,水道橋通りへと延びて今日に至っている。その間何回か大火や関東大震災で壊滅状態を繰り返し,太平洋戦争では書店街の中心は戦火をまぬがれたが,焼失した地域は少なくなかった。現在神保町を中心に約100店の古本屋が軒を連ねている。このほか東京では本郷東大付近,早稲田に古本屋の集中している地域がある。京都は永く日本の政治・文化の中心で本屋の歴史も古い。慶長・元和期は二条通,三条通に本屋が多かったが,やがて門前町としての寺町通に移っていき,現在では寺町通,百万遍付近,河原町通に本屋街を形成するに至っている。大阪は戦前,古本屋街として数十店が梅田,日本橋付近に集中していたが戦火で壊滅し,現在は市内各所に分散している。
日本の古本屋の数は,全国古書籍商組合連合会傘下の組合員数約2200店,そのうち東京都が770店,大阪府280店,愛知県150店,神奈川県130店,京都府120店,兵庫県100店。各都道府県に組合があり,その全国組織が全国古書籍商組合連合会である(1983)。各都道府県のほとんどに市場(いちば)があり,仕入れてきた本などを出品して売買が行われる。問屋のない古本業界では取引の中心ともいうべき場である。東京では神田の本部会館のほか,東西南北各会館で定期的に市が開かれ,本部,南部,西部の会館では古書即売会も開かれる。また,販売面では店売,古書目録による通信販売,古書即売会,図書館とか特定の客への持込販売の4方法がある。日本の古本屋は店売中心の店が多いが,通信販売に力を入れ,扱い品の専門化を目ざす店が多くなってきた。古本を探す人にとっては古本屋の専門を知り,古本屋と親しくなることが便利である。
欧米の古本屋の場合は,日本のような都道府県単位の組合や全国組織がないために,各国の古本屋数は把握しにくい。国際古書籍商連盟International League of Antiquarian Booksellersの加盟店数は1977年現在で約2400店,うちアメリカが324店,フランス279店,イギリス246店,ドイツ174店,日本も1964年から加盟して26店が会員になっている。また,《北米書籍商総覧Bookdealers in North America1980-82》によると,アメリカの古本屋合計が2191店,州別ではニューヨーク420,カリフォルニア338,マサチューセッツ174,ペンシルベニア110,イリノイ108などが古本屋の多い州である。この名簿には割合に小規模な店も含まれているようだ。大都市の古本屋の数は,パリが約200,ロンドン,ニューヨークは100足らずといわれているが,これは規模の大きな古本屋の数で,たとえばパリのセーヌ河畔の露店の古本屋(左岸が146,右岸84,計230店,1956年)はもちろん含まれていない。営業のやり方も欧米の大古本屋はカタログによる通信販売が中心で,したがって店舗も事務所風の店が多い。また日本の古書市(交換会)に相当するものはなく,一般人も参加できるパブリック・オークションで,ロンドンのサザビー,クリスティーが有名で各地に支店をもっている。現在著名な古本屋街としては,カルティエ・ラタンのサン・ミシェル通り(パリ),地下鉄トットナムコート・ロード駅とピカデリー・サーカス駅付近(ロンドン),マンハッタン(ニューヨーク)に大きな古本屋が集まっている。また北京の瑠璃厰は戦前古本屋街として有名であったが現在はその面影はなくなった。日本の神田神保町のような古本屋街は世界に類のないものといえよう。
古本屋は古物営業法によって規制されている許可営業で,古物営業法第2条に〈古物商になろうとする者は,総理庁令の定めるところにより,営業所ごとに,その取り扱おうとする古物の種類を定めて,営業所の所在地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない〉とある。まず警察で手続をして公安委員会発行の古物商許可証を受けると営業することはできるが,さらに古書組合に加入しなければ市場を利用することができない。
→書店
執筆者:紀田 順一郎+八木 福次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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