20世紀日本人名事典 「竹谷富士雄」の解説 竹谷 富士雄タケヤ フジオ 昭和期の洋画家 生年明治40(1907)年12月13日 没年昭和59(1984)年5月5日 出生地新潟県 学歴〔年〕法政大学経済学部〔昭和6年〕卒 主な受賞名〔年〕国際形象展佐分賞 経歴昭和7年渡欧。ベルリン、パリで学び、帰国後藤田嗣治に師事。昭和18年以来、新制作協会会員。前後3度、通算11年の滞欧制作を通じ、柔らかいパステル調の色面の瀟洒で叙情的な風景画の世界を築いた。又多くの新聞小説の挿絵を担当、挿絵画家としても知られた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹谷富士雄」の解説 竹谷富士雄 たけや-ふじお 1907-1984 昭和時代の洋画家。明治40年12月13日生まれ。昭和7-10年ベルリン,パリでまなぶ。11年二科展に初入選。藤田嗣治(つぐはる)に師事。18年新制作派協会会員となる。たびたび渡欧し,やわらかな色調の風景画をえがいた。挿絵画家としても知られた。昭和59年5月5日死去。76歳。新潟県出身。法大卒。作品に「モンマルトル・昼さがり」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by