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藤田嗣治 ふじた つぐはる

美術人名辞典の解説

藤田嗣治

洋画家。東京生。東美校卒。渡仏し、乳白色絵肌線描する独自の作風を生み出し、一躍パリ画壇の注目を集めた。一時帰国し、二科会会員・帝国芸術院会員に推挙。終戦後再び渡仏し、フランス帰化する。のちカトリック洗礼を受けてレオナルド=フジタと改名する。朝日文化賞受賞。レジオン・ドヌール勲章受章。昭和43年(1968)歿、81才。

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百科事典マイペディアの解説

藤田嗣治【ふじたつぐはる】

洋画家。東京生れ。1910年東京美術学校卒。1913年渡仏,エコール・ド・パリの一人としてモディリアニピカソスーティンらと交わり,1919年サロン・ドートンヌ会員,1921年同審査員に推された。
→関連項目秋田県立美術館中山岩太目黒区美術館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤田嗣治 ふじた-つぐはる

1886-1968 大正-昭和時代の洋画家。
明治19年11月27日生まれ。藤田嗣章(つぐあきら)の次男。大正2年フランスにわたり,エコール-ド-パリの一員となる。第二次大戦時は帰国して戦争記録画を制作。昭和30年フランスに帰化。晩年は宗教壁画を手がけた。昭和43年1月29日チューリヒで死去。81歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。洗礼名はレオナール。代表作に「自画像」「猫」など。
【格言など】(第2次大戦の間)幸か不幸か,俺は日本に居た

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

藤田嗣治

没年:昭和43.1.29(1968)
生年:明治19.11.27(1886)
明治から昭和にかけての洋画家。東京生まれ。洗礼名レオナール。東京美術学校西洋画科本科卒。大正2(1913)年に渡仏し,モンパルナスにアトリエを構える。1921年にサロン・ドートンヌの審査員になり,エコール・ド・パリの寵児となる。乳白色の絵肌に細い線描をほどこした画風は,「素晴らしい深い白地」と絶賛された。昭和8(1933)年一時帰国し,翌年二科会員となるが,再び渡仏する。同15年帰国。翌年には帝国芸術院会員となる。第2次世界大戦の戦争記録画を描き,「シンガポール最後の日」で朝日文化賞を受賞するほか,戦争末期に描いた「サイパン島同胞臣節を完す」らの作品を残す。戦後はフランス国籍を得,1957年にはレジオン・ドヌール勲章を受ける。59年,ベルギー国立アカデミー会員となる。

(尾崎眞人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ふじたつぐはる【藤田嗣治】

1886‐1968(明治19‐昭和43)
洋画家。陸軍軍医藤田嗣章末子として東京に生まれる。中学校時代に暁星の夜間部でフランス語を学ぶ。1905年東京美術学校西洋画科に入学。同級生に,後年,漫画家となる岡本一平近藤浩一路(こういちろ)(1884‐1962)らがいた。卒業後,和田英作の壁画制作の助手をつとめるが,他方で文展にも出品,3年連続して落選する。当時藤島武二や有島生馬ら洋画家たちの渡仏や帰国が相次ぎ,ひそかに期するところがあって13年フランスへ赴く。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ふじたつぐはる【藤田嗣治】

1886~1968) 洋画家。東京生まれ。東京美術学校卒。1913年渡仏。乳白色の地に細く鋭い線をもって描く独自の画風で国際的に知られ、エコール-ド-パリの一員となる。晩年フランスに帰化、カトリックに改宗。洗礼名レオナルド。代表作「五人の裸婦」「猫」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤田嗣治
ふじたつぐはる

[生]1886.11.27. 東京
[没]1968.1.29. チューリヒ
フランス国籍の洋画家。のちに軍医総監になった藤田嗣章のニ男。 1905年東京美術学校に入学し黒田清輝,和田英作に学ぶ。 1910年に同校を卒業,1913年渡仏。 P.ピカソ,A.モジリアニらを知り,エコール・ド・パリの一員として認められ 1917年個展。 1919年サロン・ドートンヌに出品した6点全部が入選し同会会員に推され,精妙な陶器の肌を思わせる白い絵具のマチエールと,的確なデッサン力をもった流麗な線描による表現は高く評価された。一方国内では 1922年以降帝展に出品し,1924年帝展審査員,1934年二科会会員となり,1941年帝国芸術院会員になるが 1955年に辞任。その間 1929,1933年に帰国したものの三たび渡仏。 1940年戦争のため帰国し,第2次世界大戦中は多くの戦争記録画を描いた。 1949年日本画壇と決別して渡仏,1955年フランス国籍を得,1959年カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなった。 1966年フランスのノートル・ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の建物を設計し,キリスト伝の壁画,ステンドグラスを描いたが,まもなく病没。主要作品は『パリ風景』 (1917,東京国立近代美術館) ,『五人の裸婦』 (1923,同) ,『舞踏会の前』 (1925,大原美術館) ,『ドルドーニュの家』 (1940,ブリヂストン美術館) ,『わが夢』 (1947) 。

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