笈田 敏夫(読み)オイダ トシオ

20世紀日本人名事典の解説

笈田 敏夫
オイダ トシオ

昭和・平成期のジャズ歌手 日本音楽家協会専務理事。



生年
大正14(1925)年2月21日

没年
平成15(2003)年9月2日

出生地
ドイツ・ベルリン

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済科〔昭和32年〕卒

主な受賞名〔年〕
南里文雄賞(第11回)〔昭和60年〕,水島早苗ジャズヴォーカル賞(特別賞 第1回)〔昭和60年〕,芸術祭賞(昭62年度),ツムラ・ジャズヴォーカル賞(大賞 第10回)〔平成6年〕,勲四等瑞宝章〔平成7年〕,日本レコード大賞(特別功労賞 第45回)〔平成15年〕

経歴
ピアニストの笈田光吉の長男としてベルリンで生まれる。ビング・グロスビーの影響でジャズに目覚め、戦時中も英語の流行歌を覚え歌う生活を送る。慶応大学生から海軍予備生徒となり、海軍少尉で終戦を迎える。戦後、大学へ戻り、昭和21年大橋節夫とハニー・アイランダースでプロ入り。渡辺弘とスターダスターズ、ブルーコーツオーケストラなど一流バンドでスター歌手として活躍、28年からはNHK「紅白歌合戦」に7回連続で出場(通算8回出場)。32年石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」で敵役のドラマーを演じた他、ラジオ「青春ジャズ大学」などにも出演。37年渡米し、ジョン・クリスティ、チコ・ハミルトンらと共演、日本ジャズ・ボーカルの第一人者としての地位を確立した。63年日本ジャズ界最高の栄誉とされる南里文雄賞をジャズ歌手として初めて受賞。平成6年ニューヨークで公演。代表アルバムに「イット・ウォズ・ア・ベリー・グッド・イヤー」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

笈田 敏夫
オイダ トシオ


職業
ジャズ歌手

肩書
日本音楽家協会専務理事

生年月日
大正14年 2月21日

出生地
ドイツ・ベルリン

学歴
慶応義塾大学経済科〔昭和32年〕卒

経歴
ピアニストの笈田光吉の長男としてベルリンで生まれる。ビング・クロスビーの影響でジャズに目覚め、戦時中も英語の流行歌を覚え歌う生活を送る。慶応大学生から海軍予備生徒となり、海軍少尉で終戦を迎える。戦後、大学へ戻り、昭和21年大橋節夫とハニー・アイランダースでプロ入り。渡辺弘とスターダスターズ、ブルーコーツオーケストラなど一流バンドでスター歌手として活躍、28年からはNHK「紅白歌合戦」に7回連続で出場(通算8回出場)。32年石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」で敵役のドラマーを演じた他、ラジオ「青春ジャズ大学」などにも出演。37年渡米し、ジョン・クリスティ、チコ・ハミルトンらと共演、日本ジャズ・ボーカルの第一人者としての地位を確立した。63年日本ジャズ界最高の栄誉とされる南里文雄賞をジャズ歌手として初めて受賞。平成6年ニューヨークで公演。代表アルバムに「イット・ウォズ・ア・ベリー・グッド・イヤー」などがある。昭和63年60歳を過ぎてファッションモデルの中山ニナと再々婚した。

所属団体
日本音楽家協会

受賞
勲四等瑞宝章〔平成7年〕 南里文雄賞(第11回)〔昭和60年〕,水島早苗ジャズヴォーカル賞(特別賞 第1回)〔昭和60年〕,芸術祭賞(昭62年度),ツムラ・ジャズヴォーカル賞(大賞 第10回)〔平成6年〕,日本レコード大賞(特別功労賞 第45回)〔平成15年〕

没年月日
平成15年 9月2日 (2003年)

家族
父=笈田 光吉(ピアニスト),妻=中山 ニナ(ファッションモデル),息子=島 敏光(映画評論家)

伝記
赤坂檜町テキサスハウス阿佐田哲也の怪しい交遊録 永 六輔 著,大竹 省二 写真阿佐田 哲也 著(発行元 朝日新聞社実業之日本社 ’06’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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