笠原沼
かさはらぬま
百間・中島・東久米原、爪田ヶ谷(現白岡町)などの諸村に囲まれた、東西一里余・南北八町余の沼地であったが、現在は消滅している。享保九年(一七二四)代官池田新兵衛は沼南部の逆井地区の開発を計画、長さ五四メートルの逆井新田落を開削して悪水を笠原沼に落し、干拓して六〇石余の逆井新田を得た。検地は同一四年に実施された。次いで同一三年勘定吟味役格の井沢弥惣兵衛は、沼の北縁に沿って堤をめぐらし、沼の北西部から沼内へ流入していた爪田ヶ谷落および野牛高岩落を導き、新堀九六二間余を新削して姫宮堀に接続した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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