笠置村(読み)かさぎむら

日本歴史地名大系 「笠置村」の解説

笠置村
かさぎむら

室町初期に存在した日野郡内の村。応永一二年(一四〇五)三月二日の某寄進状(伯耆志)に「伯耆国日野郡笠置村」とみえ、村内に勧請された楽々福ささふく大明神(現在の日谷神社)に対し、村内狩場かりば名内の二反の地(代銭二貫六〇〇文)が祭礼神田として寄進されている。江戸時代には楽々福大明神は大宮おおみや大明神となって日谷ひたに村に鎮座しており、狩場名は狩場村となったと考えられる。当時、小原こばら川流域に位置した両村および水谷みずたに小雀こすずめ山裏やまうら大原おおはらかけ鉄穴内かんなうちぼう大戸おおと二部にぶ葉侶よころ見田みんだ下多田しもただ尾郷おごうの各村と印賀川支流宝谷たからだに川沿いの阿太上あたあげ村は笠木かさぎ郷と総称されており、寛文七年(一六六七)の同社の社領証文(同書)には「笠木村大宮大明神」「笠木村神主」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報