日南町(読み)にちなんちよう

日本歴史地名大系 「日南町」の解説

日南町
にちなんちよう

面積:三四〇・九四平方キロ

日野郡の南西端に位置し、中国山地脊梁部を境に三県と接する県境の町。東は日野町、岡山県新見市、南は同県阿哲あてつ神郷しんごう町、広島県比婆ひば東城とうじよう町・西城さいじよう町、西は島根県仁多にた横田よこた町、北は西伯さいはく西伯町と島根県能義のぎ広瀬ひろせ町・伯太はくた町に接する。町域面積は県総面積の約一割にあたり、県下市町村中で最大。町域の約九〇パーセントは山林原野、約五パーセントは耕地である。県境には西の船通せんつう(一一四二・五メートル)、南西の三国みくに(一〇〇四・一メートル)、南の道後どうご(一二六八・九メートル)、東の花見はなみ(一一八八メートル)などの山々が連なる。三国山を水源として町内を北東流する日野川を境に、南は稲積いなづみ(一一四三・三メートル)鬼林きりん(一〇三一・二メートル)大倉おおくら(一一一二メートル)などが占め、日野川支流の石見いわみ(一級河川、流路延長一五・八キロ、流域面積八一・八平方キロ)や同川支流の九塚くつか(一級河川、流路延長九・二キロ、流域面積八・三平方キロ)が山ひだを浸食して流れる。北は福塚ふくづかにある井上靖文学碑に「天体の植民地」と形容される標高四〇〇―六〇〇メートルの準平原日野高原がなだらかに広がり、日野川支流の印賀いんが川・小原こばら川が緩やかに流れる。日野川沿いを日野町から当町に入るJR伯備線は、生山しようやまから石見川沿いを遡上して岡山県に抜ける。国道一八三号は生山で同線と分岐し、日野川沿いを遡上して鍵掛かつかけ峠を経て広島県に入る。

確認された考古遺跡は日野川流域や石見川・九塚川流域に点在し、縄文遺跡六ヵ所、弥生遺跡七ヵ所、古墳約一五〇基を数える。


日南町
ひなたまち

[現在地名]上野市西日南にしひなた町・東日南ひがしひなた

東は恵美須えびす町、西は愛宕あたご町に接する。南限をいけ町のかご池から流れるみぞ川が西の木興きこ池に流れ込み、溝川が城下町のおよその南限であり、その南は出屋敷でやしきとよばれた。町に入る道は北のしのび町から入る道のみで、行きどまりの袋小路であったので藩政初期にはふくろ町とよばれ、東袋町・西袋町に分れていた。元禄四年(一六九一)南の溝川に沿って池町へ出る新道ができあがり(永保記事略)、元禄年間日南町と改名された。延宝(一六七三―八一)頃の戸数は東袋町三一・西袋町四二、ほとんどが農人地で(統集懐録)、文久年間(一八六一―六四)の城下絵図(岡森明彦氏蔵)には東日南町に武家屋敷二軒ができている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日南町」の意味・わかりやすい解説

日南〔町〕
にちなん

鳥取県南西端,日野川上流域にある町。 1959年伯南町と高宮,多里,福栄,石見の4村が合体して成立。町名は日野郡の南端にあることに由来。町域の大部分は山地で,高原部には縄文,弥生時代の遺物出土地が多い。かつてのたたら製鉄の中心地。農業は米作が主であるが果樹栽培,和牛飼育も行われる。西部の島根県境には八岐大蛇の伝承地として知られる船通山 (1142m) があり,イチイの巨木は天然記念物。南部の広島県境にある道後山 (1271m) は比婆道後帝釈国定公園に属する。中心集落は生山 (しょうやま) で,付近は奥日野県立自然公園に属する。上流オオサンショウウオの生息する石霞渓,支流印賀川に菅沢ダムがある。 JR伯備線,国道 180号線,183号線が通じる。面積 340.96km2。人口 4196(2020)。

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