京都府南部,相楽郡の町。人口1626(2010)。笠置山地に占められ,中央部を木津川が西流する。町域の大部分が山林であるが,木津川沿岸には耕地が開け,南岸をJR関西本線,北岸を国道163号線が貫通する。南部にある笠置山は,花コウ岩類岩石の風化による奇岩怪石と後醍醐天皇が行在所(あんざいしよ)を置いた笠置寺などで知られている。これと木津川峡谷をあわせて笠置山府立自然公園に指定され,多くの人を集めており,観光は町の重要な産業になっている。農業は衰退傾向にあり,人口は減少を続けている。
執筆者:松原 宏
笠置山頂の笠置寺は《今昔物語集》に大友皇子の開創と伝え,〈笠ヲ注(しるし)ニ置タレバ,笠置ト可云也,其レヲ只和(やわら)カニ,カサギトハ云也ケリ〉と,寺名と地名の起源を説明する。元弘の乱にさいし,元弘1年(1331)8月東大寺聖尋をたのみに南都に遷幸した後醍醐天皇は,さらに8月27日その要害をたのんで笠置寺に行幸,本堂を行在所とした。そして夢想によって楠木正成を召し出したことは,《太平記》の伝える有名な挿話である。天皇方は幕府の大軍を相手に約1ヵ月籠城したが,備中国住人陶山義高らの先懸によって落城,天皇は没落の途中捕らえられた。木津川沿いの要地として,笠置寺はその後も戦国武将の城郭に使われた。なお木津川北岸を含む笠置寺周辺一帯は,東大寺領笠置荘であった。江戸時代には北笠置村(143石余),南笠置村(522石余)が置かれ,ともに津藩領であった。
執筆者:熱田 公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都府南部、相楽(そうらく)郡にある町。南部は奈良県に接する。1934年(昭和9)町制施行。山がちであるが木津(きづ)川が東西に峡谷をなして流れ、その南岸をJR関西本線、北岸を国道163号が走る。江戸時代には木津川の舟運があって木材の積み出しが行われた。耕地は少なく、大阪への通勤者が多い。木津川河川敷ではキャンプ、釣りが盛ん、南岸の笠置山は国指定史跡・名勝で、一帯は府立笠置山自然公園にも指定されている。面積23.52平方キロメートル、人口1144(2020)。
[織田武雄]
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