20世紀日本人名事典 「笹鹿彪」の解説
笹鹿 彪
ササカ ヒョウ
大正・昭和期の洋画家
- 生年
- 明治34(1901)年3月11日
- 没年
- 昭和52(1977)年9月8日
- 出生地
- 鳥取県米子市四日市町
- 学歴〔年〕
- 明道小〔大正2年〕卒
- 経歴
- 銀行に勤務するが、大正9年画家を志して上京、岡田三郎助主宰の本郷絵画研究所に学ぶ。同年光風会展に初入選し、翌10年帝展に初入選。関東大震災後、本郷絵画研究所の再建に尽力し、戦後は光風会の再建に参加して会員となる。以後光風展、日展で活躍を続け、昭和34年日展会員、36年日展審査員、39年評議員、51年日展参与となった。また28年より川村学園短大講師、50年より教授を務めた。戦後間もない23年、フラナガン神父が戦争孤児救済に尽力する姿に感じて描いた「フラナガン神父と子供達」など、社会と結びついた制作活動を展開した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報