等楽寺村
とうらくじむら
[現在地名]弥栄町字等楽寺
外村の南東、金剛童子山の西麓にあり、西に小原山が迫り、その谷間を網野―宮津街道が通る。溝谷川が流れる。
慶長検地郷村帳に高二九二・八八石「東楽寺村」とあり、延宝三年郷村帳は「等楽寺村」と記す。延宝九年(一六八一)の延高によって三四一石余となる(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領。等楽寺の門前村として発達した。
当村にはかつて一一の枝郷があって山間部に散在していたが、明治中頃までに岩野・ミイガクゴ・芦谷・二俣・オサズが、昭和二〇年(一九四五)以降六谷・中尾引・吉津・畑・高原などが廃村となり、現在堀越の集落だけが残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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