堀越(読み)ほりごえ

日本歴史地名大系 「堀越」の解説

堀越
ほりごえ

室町期の地名足利政知が「伊豆北条に堀越といふ所にかりに屋形をたて、伊豆国を知行せらる」と「鎌倉大草紙」にみえるのをはじめ、地名としては戦記物に政知の居所としてのみ登場する。政知は将軍足利義政の庶兄で、仏門から還俗し、当時鎌倉公方足利成氏と上杉氏との合戦の続く関東へ、鎌倉公方となるため下向した。しかし鎌倉へは赴かず、長禄二年(一四五八)夏頃伊豆国に到着しとどまったとみられる(静岡県史)。寛正元年(一四六〇)には国清こくしよう寺を陣所としていた(「碧山日録」同年五月七日条)。堀越に落着いた政知を堀越公方とよび、対立する成氏を古河公方と称する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報