デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「答本忠節」の解説 答本忠節 とうほん-ちゅうせつ ?-? 奈良時代の百済(くだら)(朝鮮)系官吏,医師。外従五位下。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年(757)橘奈良麻呂(たちばなの-ならまろ)の変の際,藤原仲麻呂をたおそうとする小野東人(あずまひと)らの動きを知りながら通告しなかった罪で捕らえられ,杖刑で死亡したと推定される。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「答本忠節」の解説 答本忠節 生年:生没年不詳 8世紀中ごろに活躍した百済系の官人。薬方に通じていた。橘奈良麻呂の乱(757)に際して,奈良麻呂らの計画を知りながら通報しなかったので,逆徒の一味と断ぜられた。最期は明らかでないが,刑罰をうけて杖死した可能性が高い。 (森公章) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by