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橘奈良麻呂 たちばなのならまろ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

橘奈良麻呂
たちばなのならまろ

[生]養老5(721)
[没]天平宝字1(757)
奈良時代中期の官人。父は諸兄,母は藤原不比等の娘多比能。室は大原真人明娘。子に島田麻呂,清友,安麻呂,入居らがいる。天平8 (736) 年父,叔父佐為王らとともに橘宿禰 (すくね) の姓を賜わる。

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デジタル大辞泉の解説

たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】

[?~757]奈良時代の貴族。諸兄(もろえ)の子。父の死後、藤原仲麻呂との対立から騒乱の主謀者として捕らえられ、獄死したとされる。

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百科事典マイペディアの解説

橘奈良麻呂【たちばなのならまろ】

奈良時代の政治家。諸兄(もろえ)の子。母は藤原不比等(ふひと)の娘。父の権勢により出世,藤原仲麻呂の台頭を排除するため757年道祖(ふなど)王・大伴古麻呂(おおとものこまろ)と結んだが,打倒計画は事前に発覚し失敗。
→関連項目石粟荘橘氏

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

橘奈良麻呂 たちばなの-ならまろ

721-757 奈良時代の公卿(くぎょう)。
養老5年生まれ。橘諸兄(もろえ)の長男。母は藤原多比能(たひの)。参議,兵部(ひょうぶ)卿を歴任。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年,黄文(きぶみ)王や大伴・佐伯・多治比氏らとともに藤原仲麻呂を暗殺し新帝をたてようと計画したが,発覚してとらえられ,獄中で没した。37歳。
【格言など】東大寺を造りて,人民苦辛す(とらえられ,きびしい尋問に対して)

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朝日日本歴史人物事典の解説

橘奈良麻呂

没年:天平勝宝9.7?(757)
生年:養老5(721)
奈良時代の公卿。橘諸兄と藤原不比等の娘の子。安麻呂,清友らの父。天平8(736)年11月,父と同じときに橘姓を賜った。12年5月従五位下。大学頭,民部大輔などを経て天平勝宝1(749)年に参議。4年11月に但馬因幡按察使となるが,このときから姓が宿禰から朝臣へ変わる。文人たちと交流し,大伴家持との関係も密接で『万葉集』巻6,8に歌を残す。蔵書家でもあり文人としての一面もあった。兵部卿,右大弁に進み,9年7月反乱計画(橘奈良麻呂の乱)が発覚して捕らえられ,獄中で死去。さかのぼると,天平9年の藤原4兄弟の死後,橘諸兄政権下で奈良麻呂のライバル藤原仲麻呂光明皇后を後ろ盾として次第に勢力を拡大してきた。奈良麻呂は危機感を持ち,17年に重病となった聖武天皇の後継者問題から仲麻呂打倒計画を立てていた。その後仲麻呂は紫微中台(749年,光明皇太后のために設置された官庁)の長官として実権を握り,天平勝宝9(757)年父諸兄が政権の座を追われ,仲麻呂による道祖王の廃太子,大炊王の立太子におよんで,クーデタ計画を進めた。それは同年7月に挙兵して,仲麻呂を殺害して大炊王を廃太子し,光明皇太后のもとから天皇の印と駅鈴を奪い,次いで孝謙天皇を退位させて,安宿,黄文,塩焼,道祖の王から皇位を定めようとするものであった。密議には奈良麻呂や前記4王のほかに,仲麻呂に反感を持った大伴古麻呂ら大伴氏,多治比犢養多治比氏,佐伯美濃麻呂,小野東人など藤原氏以外の氏族が結集した。しかし計画は反乱の仲間に加わることを誘われた中衛府の役人上道斐太都らの密告で事前に漏れ,一網打尽に逮捕された。取り調べを受けた奈良麻呂は,東大寺造営が人民を苦しめていると,仲麻呂の政治を指弾した。この事件により仲麻呂政権は確立することとなった。孫の嘉智子が嵯峨天皇の皇后となったころから奈良麻呂の名誉が回復し,承和14(847)年10月には,太政大臣正一位を贈られた。

(寺崎保広)

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世界大百科事典 第2版の解説

たちばなのならまろ【橘奈良麻呂】

721‐757(養老5‐天平宝字1)
奈良時代中期の貴族,政治家。橘奈良麻呂の変中心人物。橘諸兄の子,母は《公卿補任》によると藤原多比能(不比等の女)という。《類聚国史》弘仁12年(821)7月乙巳条によると妻は大原明娘で,彼女との間に安麻呂(第1子)がいた。そのほか《尊卑分脈》によると嶋田麻呂,清友,入居(いるいえ)の父。740年(天平12)5月,聖武天皇が父諸兄の別業に行幸したとき,無位から従五位下を授けられ,749年(天平勝宝1)7月参議に昇進した。

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大辞林 第三版の解説

たちばなのならまろ【橘奈良麻呂】

?~757) 奈良時代の廷臣。諸兄の長男。父の勢力のもとに累進して参議となる。藤原仲麻呂の擡頭たいとうを排除しようとして、不平貴族を糾合して乱を企てたが、事前にもれて獄死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

橘奈良麻呂
たちばなのならまろ
(?―757)

奈良時代の政治家。橘諸兄(もろえ)の長男。母は藤原不比等(ふひと)の女(むすめ)、多比能(たひの)。子に嶋田麻呂、清友、安麻呂、入居がある。740年(天平12)5月、聖武(しょうむ)天皇が山城(やましろ)国(京都府)相楽(そうらく)郡にある諸兄の別業(べつごう)に行幸の際、従(じゅ)五位下を授けられ、翌年大学頭に任ぜられた。745年9月、天皇の難波(なにわ)行幸中に摂津大夫(だいふ)に任ぜられる。その直後、天皇は病気となり、重態に陥った。奈良麻呂は佐伯全成(さえきのまたなり)と図り、万一天皇崩御の際は、大伴(おおとも)・佐伯両氏の助けを借り、黄文(きぶみ)王を即位させようといって全成の賛意を得て、その後もそういうことが2回あった。746年民部大輔(たいふ)、749年(天平勝宝1)侍従に、751年参議に任ぜられた。755年11月、聖武太上天皇不予のとき、左大臣諸兄が飲酒の席でことばに礼がなく謀反のさまがみえると、諸兄の祗承(しぞう)人(左右にいて仕える人)佐味宮守(さみのみやもり)が告訴した。太上天皇は諸兄を許して咎(とが)めなかった。757年(天平勝宝9)6月、奈良麻呂が右大弁に任ぜられてまもなく、同28日山背(やましろ)王が訴えて、奈良麻呂が兵器を備えて、藤原仲麻呂の田村宮を囲もうと謀っていると告げた。7月2日上道斐太都(かみつみちのひたつ)がさらに詳細に謀反の状を仲麻呂に告げたので、奈良麻呂をはじめ一味の塩焼王、安宿(あすかべ)王、黄文王らは3日に捕らえられたが、光明皇太后にいったん許された。しかし、4日に小野東人(あずまんど)、安宿王、奈良麻呂らが糾問され、謀反を自白させられ、一味とともに杖(じょう)下に死んだと考えられる。843年(承和10)従三位(じゅさんみ)を、年月不明だが太政(だいじょう)大臣を追贈された。『万葉集』に歌三首がある。[横田健一]

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世界大百科事典内の橘奈良麻呂の言及

【橘氏】より

…古代に勢力をもった氏。県犬養三千代が708年(和銅1)11月,歴代の天皇に仕えた功により橘宿禰の氏姓を賜った(橘三千代)。ついで736年(天平8)11月,美努王との間の子の葛城王と佐為王は臣籍に下って母の氏姓をつぎたい旨を上表して認められ,橘宿禰諸兄および同佐為(さい)と名のるようになった。これが橘氏のおこりである。750年(天平勝宝2)1月,諸兄は朝臣の姓(かばね)を賜っている。彼は737年の藤原4卿の急死によって政権を掌握し左大臣にまで昇ったが,藤原仲麻呂と対立し,密告によって756年2月に辞任し,翌年1月没した。…

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