篠井秀次(読み)しののい・ひでつぐ

朝日日本歴史人物事典 「篠井秀次」の解説

篠井秀次(初代)

生年生没年不詳
室町末期の奈良塗師通称弥五郎,号を善斎と称し,武野紹鴎に認められて棗や茶道具の塗をした。以後6代までその名が受け継がれたという。特に2代目は姓を野路と改め,号を善鏡と称して千利休の塗師となり,秀吉から天下一の号を許され,歴代中で最も著名である。3代目は善紹と号し古田織部の塗師,4代目は林斎と号し小堀遠州の塗師であったというが,いずれも確証のある作品や裏付ける記録にも乏しい。近世初頭の作者未詳の棗の編年基準の代用とされた感があり,奈良での茶道具の生産が盛んであったことの反映であろう。<参考文献>横井時冬『工芸鏡』

(小池富雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「篠井秀次」の解説

篠井秀次(初代) しののい-ひでつぐ

?-? 戦国時代漆工
野路善鏡(のろ-ぜんきょう)の父。武野紹鴎(たけの-じょうおう)(1502-55)の塗師(ぬし)となり,棗(なつめ)の塗りなどに腕をふるった。大和(奈良県)出身。通称は弥五郎。号は善斎。

篠井秀次(4代) しののい-ひでつぐ

?-? 江戸時代前期の漆工。
3代篠井秀次の子。茶人小堀遠州(1579-1647)の塗師(ぬし)となり,おおくの茶器をつくった。とくに中次(なかつぎ)作りの名手として知られる。号は林斎。

篠井秀次(3代) しののい-ひでつぐ

?-? 織豊-江戸時代前期の漆工。
野路善鏡(のろ-ぜんきょう)(2代篠井秀次)の子。茶人古田織部(おりべ)(1543-1615)の塗師(ぬし)として知られる。号は善紹。

篠井秀次(2代) しののい-ひでつぐ

野路善鏡(のろ-ぜんきょう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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