篠枝村(読み)ささえだむら

日本歴史地名大系 「篠枝村」の解説

篠枝村
ささえだむら

[現在地名]野津町吉田よしだ 笹枝ささえだ

一木ひとつぎ村の西、大峠おおとうげ山の南麓にある。天正一五年(一五八七)一〇月一〇日の若林鎮興野津院給所坪付(若林文書)によれば、鎮興に与えられた野津院木付左馬助先給二〇貫文のうち一〇貫文の地には、篠枝七貫分の半分三貫五〇〇分があり、田畠は柿木田・鬼法師か迫・小河内・前はたけなどの地にあった。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には篠枝村が下藤しもふじ村など二ヵ村分と一括された一冊が含まれ、村位は下。同一一年の惣御高頭御帳では高一九八石余。下ノ村組に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む