篠波村(読み)ささなみむら

日本歴史地名大系 「篠波村」の解説

篠波村
ささなみむら

[現在地名]富来町笹波ささなみ

鹿頭ししず村の北に続き、日本海に面する。中世藤懸ふじかけ村の中心村と伝える(能登志徴)山寺やまでら小山こやま浜田はまだおかの四垣内がある(三州地理志稿)。笹波とも書いた。正保郷帳によると高六五〇石余、田二一町二反余・畑二二町二反余、免五ツ三厘。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には高六八四石、免五ツ六歩、小物成は山役二六三匁、鳥役七匁(出来)・猟舟櫂役一〇目(退転)・旅舟役七二匁(ほかに退転二七六匁)・三歩半口銭七二匁(出来)とある(三箇国高物成帳)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細によると家数一二七(うち頭振三六)・人数六六一、馬二六、稼は挽板・ばい木・そうけ・蒲はぎ・磯猟

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む