やま‐でら【山寺】
[1] 〘名〙
※
古今(905‐914)春下・一一七・詞書「山でらにまうでたりけるによめる」
※浮世草子・浮世栄花一代男(1693)一「酔もせぬ先に気をうかしてひとり機嫌に山寺(やまテラ)うたへば」
③ 江戸、
吉原の
妓楼、松葉屋でよく用いられた語。田舎者の意とも、わるふざけをする客の意ともいう。
※
洒落本・客衆肝照子(1786)振新「とんだ山寺だね。ヱヱいけねへ人だよウ」
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デジタル大辞泉
「山寺」の意味・読み・例文・類語
さん‐じ【山寺】
やま‐でら【山寺】
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山寺
やまでら
[現在地名]茅野市豊平 南大塩 山寺
南大塩村の北西方の地で、「延喜式」にみえる山鹿牧、「吾妻鏡」にみえる大塩牧の中心地であった所とされている。現在この地には白山神社があり、小字としては、山寺・山寺前・仁王堂・観音原・宮ノ上・宮ノ前・宮ノ上日向・白山社朱引外・ひるさわ・太夫屋敷・古屋敷・コシマキなどがある。
白山神社は古くは「蛭沢の社」ともよばれ、平安時代から鎌倉時代にかけてこの地にあった山寺「一寺六坊」の守護神として祀られたものであるといわれる。本殿には千手観音、西隣の毘沙門堂には毘沙門天が安置されている。この一帯からは平安末期の竪穴住居跡のほか、礎石や五輪塔が発見され、前記地名にもそのなごりをとどめたものが多い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
やまでら【山寺】
山形県山形市山寺にある寺院。正式には宝珠山阿所川院(あそがわいん)立石寺(りっしゃくじ)と称し、860年(貞観2)、清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開いたという天台宗の寺院。全山が凝灰岩からなる宝珠山の懸崖に多くの堂宇が配置され、東北の叡山(比叡山)ともいわれた。円仁の遺骸を安置したと伝える入定窟(にゅうじょうくつ)があり、1948年(昭和23)からの調査で、9世紀ごろの制作とされる頭部だけの木彫像が人骨とともに発見され、円仁像とされている。鎌倉時代には幕府から禅宗に改めさせられたが、衆徒が従わず、旧に復した。その後、兵火で焼失し、1356年(延文1・正平11)に山形に入った斯波兼頼(しばかねより)が、本堂の根本中堂を再建した。16世紀にも焼き討ちにあうが、室町時代中期建造の根本中堂は、入り母屋造り、5間4面、ブナ材の建築物としては日本最古といわれる天台宗の仏教道場である。堂内には円仁作と伝わる木造薬師如来坐像が安置され、最澄が比叡山に灯した常灯明を立石寺に分けたものを、織田信長の焼き討ちにあった延暦寺が再建されたときに、逆に立石寺から分けたという不滅の法灯がある。山門、仁王門、納経堂、開山堂、五大堂、如法堂(奥之院)など、山内の建物を結ぶ参道の石段は1000段を超える。また、1689年(元禄2)、おくのほそ道をたどって山寺を訪れた松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだものを、門人たちが1853年(嘉永6)に建てた句碑がある。1932年(昭和7)に国の史跡、名勝に指定された。JR仙山線山寺駅から徒歩約7分。
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普及版 字通
「山寺」の読み・字形・画数・意味
【山寺】さんじ
山中の寺。唐・孟浩然〔夜、鹿門山に帰るの歌〕詩 山寺の
鳴、晝已に昏(くら)し 漁梁の渡頭、爭ひ渡ること喧(かまびす)し字通「山」の項目を見る。
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世界大百科事典内の山寺の言及
【立石寺】より
…山号は宝珠山。俗に山寺(やまでら)と称される。860年(貞観2)慈覚大師円仁の開山と伝え,東北屈指の慈覚大師信仰と庶民信仰の霊山である。…
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