日本歴史地名大系 「粟ノ谷村」の解説 粟ノ谷村あわのやむら 栃木県:足利市粟ノ谷村[現在地名]足利市粟谷町(あわのやちよう)北に深高(しんこう)山がそびえ、東の高見(たかみ)山から南に連なる山丘と西の西(にし)ノ谷雑木(たにぞうき)山の山丘の間を粟谷川が南流する。南は平地で板倉(いたくら)村に接する。「鶴岡八幡宮寺供僧次第」によると、承久三年(一二二一)には鶴岡八幡宮両界壇所の料所として足利庄内「粟谷郷」が足利義氏によって安堵された。宝治二年(一二四八)二月日の足利義氏置文案(鶴岡八幡宮文書)には鶴岡八幡宮の若宮修正・両界用途料所とあり、観応三年(一三五二)一〇月二二日には同宮の両界壇所料所とされている(「将軍足利尊氏御判御教書」相承院文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by