粟谷村(読み)あわだにむら

日本歴史地名大系 「粟谷村」の解説

粟谷村
あわだにむら

[現在地名]湯原町粟谷

粟谷川上流域に位置し、本流沿いに杉成すがなる支流谷間に大杉おおすぎ小茅こがやなどの集落が散在する。蒜山ひるぜん盆地の南壁をなす標高七〇〇―一〇〇〇メートル級の山稜の南面にあたる地域で、東は藤森ふじもり村、西は新庄しんじよう(現新庄村)、南は鉄山かねやま(現美甘村)など。正保郷帳によれば田高一五〇石余・畑高五一石余、元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳によれば改出高二〇〇石余・開高五四石余。元禄初頭の家数二八・人数一八九、枝村の大杉村は家数一〇(作陽誌)領主交替仲間なかま村に同じ。枝村について「作陽誌」は元和年間(一六一五―二四)津山(現津山市)の民が当村をはじめ鉄山村・たね村・黒杭くろくい村、西茅部にしかやべ(現川上村)で鉄を掘り、その跡を役人が開墾させて鉄山跡村と名付けたが、田畑が五ヵ村に散在したので、当村が民事を引受け、元禄三年には大杉村と改めたと記す。


粟谷村
あわだにむら

[現在地名]三刀屋町粟谷

三刀屋川が大きく蛇行し支流の飯石川と合流する地点の右岸に位置し、西は殿河内とのごうち村、南は多久和たくわ村。天保郷帳では三刀屋粟谷村と掛合粟谷かけやあわだに村の二村があるが、この両村はほとんどの場合粟谷村一村でみえる。康永四年(一三四五)三月日の諏方部貞扶軍忠状(三刀屋文書)に「出雲国三刀屋郷内粟谷村一分地頭諏方部彦十郎源貞扶」とあり、諏方部(諏訪部)氏の一族が地頭であった。諏訪部氏の支配は中世最末期の天正年間(一五七三―九二)まで続いた。


粟谷村
あわたにむら

[現在地名]日野町福長ふくなが

久谷くたに村の西の山中に位置し、南は漆原うるしばら村、西は井原いのはら村。村内を日野川の支流粟谷川が流れる。小粟谷とも記されるが、これは折渡おりわたり(現日南町)の支村下粟谷しもあわだに・奥粟谷との混同を避けるためであろう。正保国絵図栗谷くりたに村とみえ、正徳元年(一七一一)の郷村高辻帳に「古ハ栗谷村」と注される。拝領高は三石余、本免は六ツ。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」に小粟谷村とみえ、家数一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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