日本歴史地名大系 「粟佐村」の解説 粟佐村あわさむら 長野県:更埴市粟佐村[現在地名]更埴市粟佐東は矢代(やしろ)村(宿)、南は杭瀬下(くいせけ)村、西方と北方は千曲川に囲まれた位置にある。粟佐は「延喜式」神名帳に「粟佐(アハサノ)神社」とみえる。現在もこの神社は存続し、村の西端にある。祭神は建御名方命・事代主命・少彦名神である。慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳には「西(粟)佐村 高五百三拾壱石壱斗五合」とある。同一五年の諏訪文書にも「一、五百参拾壱石壱斗五合 粟左(佐)村」と同石高でみえる。元和四年(一六一八)の諏訪文書によると領主松平忠昌は、粟佐村百姓に松賦(節)河原(千曲川対岸、現長野市塩崎松節)の開発について次のように命じている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by