粟寺村(読み)あわでらむら

日本歴史地名大系 「粟寺村」の解説

粟寺村
あわでらむら

[現在地名]豊田市桝塚東(ますづかひがし)町

市域最南端部に位置する。近世を通じて岡崎藩領。寛永郷帳高四七〇石。寛文五年(一六六五)粟寺新郷に高を分け、三四五石余となった。宝永二年(一七〇五)には岡崎藩領上野手永大庄屋に、当村三郎左衛門が就任している。

元禄一二年(一六九九)の水害につき山上り人数覚(桝塚東区有)では、上野諸村の中でもとりわけ水害のはなはだしい低湿地の当村で、二八人の百姓(うち七人は無高)が水害を避けて山に移ることを願出ている。なお移住時に誉田別命ほか一柱を祀る八幡社が創建された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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