粟寺新郷(読み)あわでらしんごう

日本歴史地名大系 「粟寺新郷」の解説

粟寺新郷
あわでらしんごう

[現在地名]豊田市和会(かずえ)町

市域最南端部に位置し、村域は明治用水と枝下(しだれ)用水に挟まれる。五箇新郷の一つ。近世を通じて岡崎藩領。慶長年間(一五九六―一六一五)岡崎藩主本多伊勢守の頃に粟寺新郷地内に鷺蔵(さぎぞう)池が築かれた。古記録(岡崎市史)に「水源ハ釜土池ニ発シ、小水路ヲ以テ上村新郷、下村新郷、国江新郷、馬場新郷ノ水田ヲ灌漑シ、流末ヲ此地ニ注グ」とある。寛文五年(一六六五)粟寺村から一三戸が分村した。同八年の粟寺新郷検地帳(上和会区有)によれば、一六人の名請人のうち一四人が屋敷持であり、このうち助太夫は屋敷のみをもつので、分村後の入村であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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