紀伊浜御厨(読み)きのはまのみくりや

日本歴史地名大系 「紀伊浜御厨」の解説

紀伊浜御厨
きのはまのみくりや

紀ノ川河口付近、近世松江まつえ村のうち、東松江村・西松江村辺りにあったと思われる賀茂社の御厨。賀茂社社領目録(鴨脚文書)の保安三年(一一二二)一一月一六日に近江国堅田御厨が賀茂社に寄進されたという記事に続く「此外御厨、散在所々在之」うちに「紀伊浜」とみえる。また寿永三年(一一八四)四月二四日付の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)にも賀茂社領として「紀伊浜御厨」がみえる。文治三年(一一八七)二月一一日の女物部氏処分状案(仁和寺記録)に「久見和太住人源末利」が「坂東丸」という船を所持していたことがみえるが、この「久見和太」は、建久三年(一一九二)四月日付の膳末宗等連署証状案(同記録)に「賀茂社御領紀伊国久見和太貢菜人」とあるので、紀伊浜御厨の所在地をさしていると思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む