紋鼈製糖所跡(読み)もんべつせいとうじよあと

日本歴史地名大系 「紋鼈製糖所跡」の解説

紋鼈製糖所跡
もんべつせいとうじよあと

[現在地名]伊達市錦町

明治一三年(一八八〇)内務省勧農局によって紋鼈村に設置されたわが国初の官営ビート製糖工場跡地は現在のにしき町中央部とされる。明治一一年にパリ万国博を視察した仏国博覧会副総裁松方正義はヨーロッパの甜菜による砂糖製造の隆盛を知り、翌一二年内務省勧農局所管の製糖所を紋鼈村に設けることにした。工場は同一三年一二月に完成、フランスのフェブリール製糖会社から一昼夜に約一〇〇トンの処理能力をもつ機械を輸入し、建物は赤煉瓦建の近代的な工場で、当時北海道の工場としては最高のものであった。同年の甜菜作付面積は一二〇ヘクタール、産糖は二〇トン余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android