累標村(読み)るべしべむら

日本歴史地名大系 「累標村」の解説

累標村
るべしべむら

[現在地名]勇払ゆうふつ郡穂別町字和泉いずみ・字豊田とよた・字穂別

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正八年(一九一九)三月までの村。勇払郡の北東端に位置し、南西は似湾にわん村、北東から北は穂別村、北西は厚真あつま(現厚真町)南東は日高国沙流さる郡に接する。村内中央を川が南流する。明治六年(一八七三)六月の「胆振国地誌提要」にアイヌ一二戸・五三人(男二一・女三二)のルヘシヘ村、アイヌ八戸・四三人(男二〇・女二三)のカヱクマ村がみえ、同年八月この二村を統合して累標村とすることを決定(「勇払往復」道立文書館蔵簿書)。同二五年三重県人の川口菊蔵が入地し、ヤマベ(ヤマメ)を焼いて乾燥させ、保存食として札幌方面に送って業をなし、のち店舗を構えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む