細井肇(読み)ホソイ ハジメ

20世紀日本人名事典 「細井肇」の解説

細井 肇
ホソイ ハジメ

明治〜昭和期の新聞記者,評論家



生年
明治19(1886)年2月

没年
昭和9(1934)年10月19日

出生地
東京・品川

別名
号=吼啀

経歴
18歳で長崎新聞記者。明治40年朝鮮に渡り、内田良平らの合邦促進運動を支援。44年週刊朝日記者となり、一方「大国民」を経営。大正元年東京朝日新聞社に入り、政治部記者を7年つとめ、8年騒乱状態続年朝鮮へ再渡航。9年自由討究社を興し、朝鮮民族について研究、12年朝鮮問題をかかげて全国を講演旅行した。昭和2年ジュネーブ軍縮会議の斎藤全権に随行。5年月旦社を設け、「人の噂」を発行、のち「人と国策主宰。国民外支協会、独立国策協会、時局懇談会などで国事に奔走した。著書に「朝鮮文化史論」「朝鮮問題の帰趨」「女王閔妃」「国太公の眦」「日本の決意」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細井肇」の解説

細井肇 ほそい-はじめ

1886-1934 明治-昭和時代前期の新聞記者,評論家。
明治19年2月生まれ。内田良平らの日韓合併運動を支援。東京朝日新聞政治記者ののち朝鮮にわたり,大正9年自由討究社をおこし朝鮮の民族研究にとりくむ。昭和5年月旦社を創設し雑誌「人の噂」,のち「人と国策」を発行・主宰した。昭和9年10月19日死去。49歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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