出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
東京都品川区北東部、JR、京浜急行電鉄品川駅の南方の地区。山手(やまのて)台地から目黒川沿いの低湿地、さらに東京湾岸の埋立地にかけて広がる。目黒川を古く品川とよんだこと、付近の高輪(たかなわ)に対し品ヶ輪と名づけたこと、また鎧(よろい)の威(おどし)に用いる品革の染色が行われていたことが地名の由来という。現在、目黒川以北が北品川、目黒川以南のうち東海道本線を境として西側が西品川、東側が南品川、東部の埋立地が東品川と4地区に分かれる。
中世には品河氏の居住地であったが、江戸時代は幕府直轄地となった。京浜急行電鉄北品川駅と八ツ山通りの間の狭い道が旧東海道で、ここに江戸四宿の一つ品川宿が置かれた。駅馬36匹、遊里もでき、四宿のなかでもっとも繁栄した。品川宿の中心、北本宿(ほんじゅく)にあった本陣跡は現在聖蹟(せいせき)公園となっている。
山手台地は太田道灌(どうかん)の館(やかた)があったことから御殿山(ごてんやま)とよばれ、江戸時代はサクラの名所であった。現在は大使館が置かれ、高級住宅地となっている。東品川は、ノリ採取地であったが、大部分は1887年(明治20)以降の埋立地で、工業地区として発展、北東端に火力発電所、コンテナターミナル、品川埠頭(ふとう)がある。北品川には品川天王祭の品川神社、沢庵(たくあん)禅師開基の東海寺、南品川には江戸六地蔵の品川寺(ほんせんじ)、岩倉具視(ともみ)の墓所の海晏寺(かいあんじ)があり、旧東海道筋には史跡が多い。
[沢田 清]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
…1冊。南閨は品川の遊里をいう。国元から上った藩の重役人を,江戸詰めの作事役人沢井が,工事請負人忠治や材木屋の若息子幸治郎,大工長七などと品川の遊里に遊ばせるという構成をとる。…
…1冊。南江は品川をさす。吉原通(つう)を誇る半可通(はんかつう)酔無が,3人の友人とともに初めて品川に遊び,女に冷遇されるのと,友人の一人袖浦(しゆうほ)がなじみの女に好遇されるのとを対照的に描いている。…
※「品川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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