20世紀日本人名事典 「細谷雄太」の解説 細谷 雄太ホソヤ ユウタ 大正・昭和期の耳鼻咽喉科医学者,俳人 東京同愛記念病院耳鼻咽喉科医長。 生年明治15(1882)年4月28日 没年昭和25(1950)年11月20日 出生地山形県谷地町 別名俳号=細谷 不句(ホソヤ フク),旧号=柚翁 学歴〔年〕東京帝大医科大学〔明治40年〕卒 学位〔年〕医学博士(東京帝大)〔大正11年〕 経歴岡田和一郎に師事。大正元年台湾総督府医院医長兼付属医専教授、6年欧州留学、13年千葉医科大学教授、昭和3年東京同愛記念病院耳鼻咽喉科医長を歴任し、戦後退職。俳句は一高俳句会、東京俳句会、海紅堂句会などに参加。河東碧梧桐に師事し、「海紅」同人。句集に「寒林句屑」「日々吟四年間」、著書に「耳鼻咽喉科レントゲン診断及治療」「耳鼻咽喉科診療の実際」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細谷雄太」の解説 細谷雄太 ほそや-ゆうた 1882-1950 大正-昭和時代の耳鼻咽喉科学者。明治15年4月28日生まれ。大正元年台湾総督府医院医長兼付属医専教授となる。ヨーロッパ留学をへて,13年千葉医大教授,昭和3年東京同愛記念病院耳鼻咽喉科医長となる。昭和25年11月20日死去。68歳。山形県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例