絵上郷
えなのかみごう
「和名抄」所載の郷。「三代実録」元慶三年(八七九)九月四日条によれば、美濃国と信濃国の間でながく国境について紛争があって、貞観年中(八五九―八七七)に藤原朝臣正範らを派遣して国境を定めさせたが、正範は旧記によって、吉蘇・小吉蘇両村は当郷の地であるといったとある。「日本地理志料」はこの記述から神坂(現中津川市)、馬籠・山口(現長野県木曾郡山口村)、田立・吾妻・妻籠・三留野・読書(現同郡南木曾町)の諸地区にわたるとしている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 