群馬県中西部、吾妻郡にあった旧町名(吾妻町(まち))。現在は東吾妻町(ひがしあがつままち)の中央から西部を占める地域。旧吾妻町は1889年(明治22)原町(はらまち)として町制施行。1955年(昭和30)太田、岩島、坂上(さかうえ)の3村と合併。1956年吾妻町と改称。2006年(平成18)同郡東(あづま)村と合併して東吾妻町となる。旧町域の大部分は、榛名(はるな)山北西部と浅間隠(あさまかくし)山北東部の各斜面で、北部を西から東へ流れる吾妻川と、浅間隠山から北東へ流れる支流の温川(ぬるかわ)の両川の河岸段丘面が平地になっている。JR吾妻線と国道145号が東西に走り、ほかに国道406号が通じる。原町以外は、水田および畜産、野菜やコンニャクイモの栽培を主とする農村である。花卉(かき)栽培も盛んで、スイセンは全国でも有数の産地となっている。4月には「水仙まつり」が行われる。工業団地に電器などの企業が進出している。原町の北部の岩櫃(いわびつ)山(803メートル)には、弥生(やよい)期の岩櫃山遺跡と、往古関東の三名城の一つといわれた岩櫃城跡があり、温川上流には浅間隠温泉郷(きょう)(鳩(はと)ノ湯、温川、薬師(やくし)温泉)がある。また、旧町域の北西部には国名勝の吾妻峡や、川中温泉もある。
[村木定雄]
長崎県南東部、南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(吾妻町(ちょう))。現在は雲仙市(うんぜんし)の北西部を占める。旧吾妻町は1954年(昭和29)山田、守山(もりやま)の2村が合併して吾妻村となり、1963年(昭和38)町制施行。2005年(平成17)国見(くにみ)、瑞穂(みずほ)、愛野(あいの)、千々石(ちぢわ)、小浜(おばま)、南串山(みなみくしやま)の6町と合併、市制施行して雲仙市となった。旧町域は島原半島の北西部に位置し、有明(ありあけ)海に臨む。山田は古代『和名抄(わみょうしょう)』の山田郷の地で、『延喜式(えんぎしき)』の山田駅の置かれた地。現在は島原鉄道、国道251号が通じる。海岸部は諫早干拓地(いさはやかんたくち)に続く新田が広がり、米作が盛んである。この新田は、明治末期から昭和初期にわたって造成された干拓地で、250ヘクタールを有する。背後には雲仙火山の外輪山である吾妻岳、その山麓(さんろく)には吾妻岳牧野があり、黒牛の放牧が行われている。火山性扇状地上ではミカン、ブドウ栽培のほか、ジャガイモの生産が盛んである。漁業はノリ養殖が主体で、漁家の97%を占める。
[石井泰義]
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