緋田庄(読み)あけだのしよう

日本歴史地名大系 「緋田庄」の解説

緋田庄
あけだのしよう

八家やか川左岸の現姫路市明田あけだを中心とした一帯に比定される庄園。三野南条みのなんじようのうちに含まれる。「民経記」安貞元年(一二二七)一二月の二五日と思われる条にみえる「緋田庄」は摂関家領庄園で、藤原道長が造営した法成ほうじよう(現京都市上京区)の法印院賢が知行し、同寺の御堂修正用途などに充てられていた。建治元年(一二七五)一一月七日に摂政鷹司兼平は法印院恵を法成寺大仏師職に任じて当庄などを安堵し、正応二年(一二八九)四月二五日には関白近衛家基が大仏師法印院瑜に当庄などを安堵している(勘仲記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む