練屋町(読み)ねりやちよう

日本歴史地名大系 「練屋町」の解説

練屋町
ねりやちよう

[現在地名]中区丸の内まるのうち三丁目・にしき三丁目

伊勢いせ町の南、鶴重つるしげ町の北に位置し、すぎの町筋と伝馬てんま町筋との間の二丁をいう。慶長年中(一五九六―一六一五)清須きよすより移った。清須時代、練屋・絹屋が多数居住していたので町名が生れた(町名起因並町家由緒)。練飴屋が住居したからとの説もある(尾張城南陌名由緒)。家屋売買・養子婚姻の際の町振舞、町入用の取集め方法・神事などについて、町民相互で自治的に定めた当町の嘉永四年(一八五一)二月の町法は有名(岡田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む