繁昌院
はんじよういん
神前神社の南西にある。もとは字野間の風呂の谷にあって本堂・鐘楼・客殿・庫裏を備えていたが、大正元年(一九一二)の洪水で被害を受け現在地に移転。真言宗当山派で東流山繁昌院神応寺と称する。室町末期に山口守俊が神崎庄石井において修験道を開き、安富盛方の守本尊であった不動明王を安置したのに始まる。優れた行者が多く輩出し、とくに繁昌院長孝のもとには阿讃の人々が群参し、雨滝山や弁天島(現津田町)、丸亀島(現大内町)で雨乞をすること数度、必ず効験があったと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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