織田城跡(読み)おたじようあと

日本歴史地名大系 「織田城跡」の解説

織田城跡
おたじようあと

[現在地名]織田町織田・上山中

上山中かみやまなか平等たいらと境を接する織田地籍の山頂(二九七メートル)にある、朝倉兵庫助景綱の城跡。頂上には現在も堀切がみられ、永楽銭・土器なども発見されたという。麓のじようだにでは近年多数の折れた刀や人骨が発見された。朝倉貞景の四男景延の子景綱は、天正二年(一五七四)一向一揆に攻められこの山城にこもった。「朝倉始末記」は防衛の様子を次のように記す。

<資料は省略されています>

しかしその後は同書に「五月下旬ニ(中略)兵庫助何トカ思ヒケン、山城ニ軍兵五、六百残置キ、妻子ヲ引具シテ此船ニ打乗テ、敦賀ヘゾ退ケル」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む