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朝倉貞景 あさくら さだかげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

朝倉貞景 あさくら-さだかげ

1473-1512 室町-戦国時代の武将。
文明5年2月5日生まれ。朝倉氏景の子。越前(えちぜん)(福井県)守護。敦賀(つるが)城主朝倉景豊,叔父の朝倉元景をたおして一族の内紛をおさえ,さらに加賀一向一揆(いっき)の侵攻を撃退して,朝倉氏の越前支配を確立した。永正(えいしょう)9年3月25日死去。40歳。通称は孫次郎,弾正左衛門尉。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

朝倉貞景

没年:永正9.3.25(1512.4.11)
生年:文明5(1473)
越前(福井県)の戦国大名。氏景の子。弾正左衛門尉。文明18(1486)年14歳で家督を継ぐが,父の叔父に当たる慈視院光玖の後見もあって領国支配の安定に実績をあげた。越前支配権を巡る長享1(1487)年以降の斯波氏との訴訟に勝ってその主従関係を脱し,文亀3(1503)年には一族朝倉景豊の反乱を鎮圧。さらに永正3(1506)年,侵攻してきた加賀一向一揆の大軍を撃退し領国支配を確立した。『宣胤卿記』は,その画才が天皇の耳にも聞こえていたと伝えている。鷹狩りへの途次急死し,その地には子孝景により天沢寺(跡地は福井市東新町)が建てられた。

(河村昭一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の朝倉貞景の言及

【越前国】より

…旧国名。北陸道に属する大国(《延喜式》)。現在の福井県のうち南西部の旧若狭国を除いた北東部を占める。
【古代】
 北陸地方は古くは(こし)(高志)とよばれ,越前に当たる地域には角鹿(つぬが)国造,三国国造がいた。越は蝦夷経営の前進基地としての政治的役割をもち,589年に阿倍臣を北陸道に遣わし越等の諸国の境を視察させている。また658年(斉明4)および660年,越国守阿倍比羅夫が粛慎(みしはせ)を討っているのも,越の位置づけを物語る(なお,658年は誤りとする説もある)。…

※「朝倉貞景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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