織田村(読み)おたむら

日本歴史地名大系 「織田村」の解説

織田村
おたむら

[現在地名]織田町織田

上戸うわどの西、織田盆地の中央にあり、つるぎ大明神(現劔神社)が鎮座する。明応年中(一四九二―一五〇一)と思われる一〇月二五日付朝倉景儀書状(劔神社文書)に、天台宗妙法みようほう(現京都市東山区)織田庄内の劔大明神坊領として「本庄正元名」「本庄安次名」「本庄末次名」とある「本庄」は、織田庄の中心地である当地をさす。村は劔大明神と神宮寺の織田寺の神領・坊領を耕作する百姓が中心となって形成された。現地字名のうち、乗丈のりたけ中世名田の「則武名」、信景のぶかげは「延景名」の遺名と思われ、また家喜屋やきや土器窪かわらけくぼは織田焼の窯跡と考えられる。

天正五年(一五七七)柴田勝家の検地と思われる越前国織田庄検地帳(北野家文書)にはととめい村・寺家じけつじ村・西之にしの村・鎌坂かまさか村・市場いちば村・つつみ村・三崎みさき村・赤井谷あかいだに村の村別に一筆ごとの面積と名請人とが記されるが、これは織田庄全域の検地帳ではなく、従来荘内に散在していた劔大明神の寺社領地を同社周辺に集めるための基本台帳として作成されたと考えられる。これを基に同年四月に一四八九・三石が大明神領と定められた。すなわち、天正五年四月八日付織田寺宛市橋為則外一名相附状(劔神社文書)によれば、一三ヵ所の田畠面積を記した後、院中いんちゆう村・上野うえの村・市場村・堤村・高橋たかはし村・なか村・三崎村・大王丸だいおうまる・上戸村の九ヵ村の村附を記して、その奥書に「右相渡村九所不可有相違候、但此分上戸村給人と御相談之上以家数可有御請取候、以上。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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