朝日日本歴史人物事典 「織田瑟々」の解説
織田瑟々
生年:安永8(1779)
江戸後期の桜の専門画家。近江の御園村川合寺(滋賀県八日市市)に津田貞秀の長女として生まれる。名は政江。遠祖は織田信長の9男信貞という。彦根藩士石居信章を養子に迎え津田家を継いだ。息子に貞逸がいる。文化10(1813)年信章が病没したのを契機に,その後京都の三熊露香に入門し,瑟々と号し織田姓を名のる。露香の描くデリケートな桜とは異なり,筆力あふれた力強い桜の描写に特色があり,織田桜の異名をとる。墓は川合寺の西蓮寺にあり法名を「専浄院殿天誉快楽名桜大姉」という。作品に「異牡丹桜図」(白鹿記念酒造博物館蔵)ほかがある。
(安村敏信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報