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後桃園天皇 ごももぞのてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後桃園天皇
ごももぞのてんのう

[生]宝暦8(1758).7.2. 京都
[没]安永8(1779).10.29. 京都
第 118代の天皇 (在位 1771~79) 。名は英仁,幼称は若宮。桃園天皇の第1皇子。母は尊称皇太后恭礼門院藤原富子。宝暦 12 (62) 年父桃園天皇崩御後践祚すべきところが,幼少のため伯母の智子内親王が践祚して,後桜町天皇となったので,その跡を継いで,明和8 (71) 年即位。日記8冊がある。陵墓は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵

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デジタル大辞泉の解説

ごももぞの‐てんのう〔‐テンワウ〕【後桃園天皇】

[1758~1779]第118代天皇。在位、1771~1779。桃園天皇の第1皇子。名は英仁(ひでひと)。日記8冊が残る。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後桃園天皇 ごももぞのてんのう

1758-1779 江戸時代中期,第118代天皇。在位1771*-79。
宝暦8年7月2日生まれ。桃園天皇の第1皇子。母は藤原富子(恭礼門院)。伯母の後桜町天皇の譲位をうけて13歳で即位。幕府は10代将軍徳川家治(いえはる)の時代。在位10年皇嗣をきめないまま,安永8年10月29日死去。22歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は若宮。諱(いみな)は英仁(ひでひと)。日記に「後桃園院宸記(しんき)」。
【格言など】のどかなる春を迎へてさまざまの道栄えゆく御代ぞにぎはふ(内裏和歌御会)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後桃園天皇

没年:安永8.10.29(1779.12.6)
生年:宝暦8.7.2(1758.8.5)
江戸後期の天皇。明和7(1770)~安永8(1779)年在位。桃園天皇第1皇子,若宮。母は一条兼香の娘富子(恭礼門院)。諱は英仁。宝暦9(1759)年儲君,同年5月親王宣下,明和5年立太子,同7年11月24日践祚,翌年4月即位。在位期には朝廷内の口向諸役人による不正処罰事件が起こり,宝暦事件以来の朝廷統制弛緩に対する幕府の圧力が強化された。生来病弱であったが好学で,在位中の日記『後桃園院宸記』(東山御文庫),禁中儀式書『年中さかつきの次第』がある。22歳で死去。陵墓は京都泉涌寺内の月輪陵。<参考文献>高埜利彦「後期幕藩制と天皇」(『講座前近代の天皇』2巻)

(母利美和)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

ごももぞのてんのう【後桃園天皇】

1758~1779) 第一一八代天皇(在位1770~1779)。名は英仁ひでひと。桃園天皇の第一皇子。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後桃園天皇
ごももぞのてんのう
(1758―1779)

皇統譜に第118代とされる天皇(在位1770~79)。名は英仁(ひでひと)。桃園天皇の第1皇子。母は恭礼門院富子。宝暦(ほうれき)8年7月2日誕生。1759年(宝暦9)5月立太子、62年父帝没後、幼年のため伯母の後桜町(ごさくらまち)天皇が中継ぎとして在位して、70年(明和7)11月に禅を受け翌年4月14歳で即位した。安永(あんえい)8年11月19日に22歳で没した。京都市東山区の月輪陵に葬る。日記『後桃園天皇宸記(しんき)』8冊、和歌『後桃園院御点(ごてん)』1冊がある。[山田忠雄]

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367日誕生日大事典の解説

後桃園天皇 (ごももぞのてんのう)

生年月日:1758年7月2日
江戸時代中期の第118代の天皇
1779年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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