美成村(読み)みなりむら

日本歴史地名大系 「美成村」の解説

美成村
みなりむら

[現在地名]用瀬町美成

用瀬村の北、千代川西岸に位置し、枝郷に余井(よい)(宵)がある。古代の智頭(ちず)郡美成郷(和名抄)の遺称地で、中世には三成と記され別符が成立していた。応永七年(一四〇〇)正月一八日の高野山金剛峯寺々領注文(高野山文書)に高野山宝性(ほうしよう)院(現和歌山県高野町)の護摩料領として「因幡国 福田別符并三成高狩別符等領家職等」とみえ、永正一〇年(一五一三)四月二三日には「三成別府」が天馬口合戦の際の軍功による新給として山名豊頼から矢部北川備後守に宛行われている(「山名豊頼宛行状」北川家文書)。藩政期の拝領高は一六八石余。本免五ツ四分。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高二三六石、竈数三〇余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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