用瀬町
もちがせちよう
面積:八一・六〇平方キロ
八頭郡の西部に位置し、東は船岡町、南は智頭町、西は岡山県苫田郡阿波村、北は佐治村・河原町。東・西・南の三方は標高七〇〇―九〇〇メートル級の山々に囲まれ、町域の約九二パーセントは山林原野。町のほぼ中央を北流する千代川とその支流安蔵川・佐治川・赤波川の合流点にわずかに平地が開けるが、耕地は全町域の五パーセント強にとどまる。主要交通路は千代川沿いに走る国道五三号(智頭街道)とJR因美線、ほかに県道加茂―用瀬線、智頭―船岡線、主要地方道江府―中和―用瀬線などがある。
縄文―弥生時代の遺跡は少なく、古墳も四基が確認されているにすぎない。古代・中世には大部分は智頭郡、一部は八上郡に属し、古代の智頭郡美成郷(和名抄)が美成一帯に比定され、鷹狩一帯は八上郡散岐郷(和名抄)に含まれていたとみられる。式内社はないが、「三代実録」元慶三年(八七九)二月八日条にみえる「大□神」は、宮原に鎮座する犬上神社のこととされている。寺院では鷹狩にある大安興寺が奈良時代開創の由緒を伝える。庄園・公領制下においても史料に登場する高狩別符・福田別符・三成別符・用瀬郷などの存在からみて、因幡国衙の管轄下にある公領が多かったようである。用瀬郷は古用瀬を中心に千代川対岸の金屋をも含んでいたとみられ、南北朝期から鋳物師が活動していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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