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羽衣石城 うえしじょう

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日本の城がわかる事典の解説

うえしじょう【羽衣石城】

鳥取県東伯郡湯梨浜町にあった山城(やまじろ)。室町時代から安土桃山時代まで南条氏が居城。井東郷湖の南、標高370m余の羽衣石山山頂に、1366年(貞治5)南条貞宗(なんじょうさだむね)によって築城されたと伝えられる。貞宗以後、歴代にわたって居城したが、8代宗元のとき尼子経久(あまごつねひさ)に攻撃され、城を奪われた。尼子氏が毛利氏によって滅ぼされたため、宗元は羽衣石城に復帰した。9代元継の代には羽衣石城を舞台に、毛利氏と激しい攻防戦が繰り広げられた。その後、10代元忠(もとただ)は関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易となり、廃城となった。現在曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、石垣、堀切、井戸などの遺構が整備され、山頂には3階建ての天守閣が再現されている。また発掘調査で木戸跡遺構や陶磁器類、鉄砲玉などが発見された。JR山陰本線松崎駅からバス松崎線倉吉行、長和田(なごうだ)下車、タクシーで約20分。

出典|講談社
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世界大百科事典内の羽衣石城の言及

【東郷荘】より

…ただしその実効性には疑問があり,また南北朝・室町期には守護山名氏とその被官人による押領が相次ぎ,松尾社による東郷荘支配は戦国期をまたずして崩壊してしまったようである。荘域内には伯耆国一宮倭文(しどり)神社とその社領があり,また伯耆南条氏の拠城羽衣石城ももとはその荘域の内にあった。【井上 寛司】。…

【南条氏】より

…尼子経久のため一時城を追われたが,尼子氏の没落とともに旧領を回復。1579年(天正7)羽衣石南条氏と並び称せられた西伯耆杉原氏との対立から上方に誼(よしみ)を通じたため,82年毛利氏に攻められその軍門に下ったが,85年毛利・豊臣秀吉の和睦が成り,南条氏は河村・久米・八橋3郡の領主として再び羽衣石城主の地位を得た。しかし1600年(慶長5)の関ヶ原の戦では西軍について敗走し,このとき,因・伯地方の代表的な山城として知られる羽衣石城は神社仏閣に至るまで灰燼に帰したという。…

※「羽衣石城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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